読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

油断出来る間に。

その時は、常に貴女の隣に座っている。

自分である必要

紅雪姫って、裏の国では曲書きなんですよ。それで最近思うんです。

 

「曲を作るのが自分である必要ってあるのかな?」

 

って。つい最近までは私が周辺の中では良い環境だったのですが、みるみる内に周りが環境を揃えてしまい、今では私が逆に劣り目なのです。で、環境ではもう絶対に勝てないから、あと他に何か勝てる見込みの有る要素はないのかな、と思ったんです。

 

すると必然的に「作る曲の音楽性」に行き着くんです。いくら環境悪かろうが良い曲は良いですから。じゃあ私の作る音楽性どうよ?って思って自分の作った曲を一通り聞いてみたんです。すると、

 

……酷い。

 

周りの人の足元にも及ばぬ酷さ。1番良く出来たと思っていた曲ですらゴミです。それで急に悲観的になりまして。その末に思ったのが、

 

「曲を作るのが自分である必要ってあるのかな?」

 

って事です。音楽は基本的に2人以上必要です。最小限でも作り手1人と聞き手1人。そして悲しいのが、「1人しか必要でない時」。つまりは作り手と聞き手が一致している、って事です。

 

そもそも私が曲を作るきっかけが、「好きな曲をやっているアーティストが少ないなら自分で作ってしまえばいい」と言う発想が生まれた事です。つまり100%自己満足の音楽です。なので本来「人に聞かせるように作られていないはず」なのです。

 

なのに途中で、現実世界で自分の周りに似通った事を出来る人が居ない状況下で“作曲が出来る”と言う事を“自分のステータス”だ、と勘違いし、自分へ陶酔する事でみるみる内に盲目になって、最終的には趣味が高じて4万もするソフトに金を投げ、更にそこからネット世界へのめり込んだが為に自らの破滅を生みました。

 

でも、嬉しい事にこんな音楽でも聞いてくれる人が居ます。2017年4月6日現在、YouTubeに上げた曲で自分の曲の再生数を累計(実際は複数曲を聞いて下さるとっても良い方々がいるのでもっと少ないです)すると、3,676回、安全側に見ても3,000人の方々が私の音楽を、断片的にでも聞いてくれています。

 

すると、その人たちが求めているのは何なのだろう、と思うのです。私が作れる曲のジャンル的には上位互換で曲を作れる方が周りにわんさか居ます。なら、それは私がつくらずともその人たちが勝手にやってくれるんじゃないか、とも思えます。

 

聞く人達にとっても、こんなちゃちい環境で作られたちゃちい曲よりも、良い環境で作られた良い曲の方が絶対良い筈です。

 

音楽なんてオリジナリティが無ければ絶対伸びる訳が無いモノです。ましてやヴォーカルレスのインストゥルメンタル楽曲で勝負を掛けていくとなると、他の曲と似通った様な曲と思わせないくらいのインパクトが必要です。

 

そしてそれだけの代物を作れるだけの技術も知恵も私は持っていません。正直自分にあったと言えるのは物覚えの早さぐらいです。

 

少しずつ、毒を飲みます。甘い甘い毒に、ね。